京大生おにぎりのつぶやき

京都大学農学部所属おにぎりが雑多につぶやくブログです。

最近気づいたこと

こんにちは!

テストが近くてヤバいだろうおにぎりです。

今回は僕が京大の講義の課題を取り組んでいる際に気づいたことがあったのでそれを書いていきたいと思います。

気づいたこと、それは

僕は将来人の役に立ちたいとは全く思っていなかった

ということです。

このことについて自分の頭がちょっとおかしいんじゃないかと思ったので「人の役に立ちたい」ということについてちょっと考えてみました。

ことの発端は先にも述べたように講義の課題を取り組んでいたときなのですが、その内容が「あなたの将来の希望について書け」というような内容でした。

僕は将来的には食品やら薬などの研究、開発がしたいなあと考えていました。

さてここで問題なのですが、なぜ僕は食品やら薬などの研究や開発がしたいと考えるようになったのでしょうか?

こういうものを作りたいと考える人というのはおそらくですが自分が作った食品を消費者に食べてもらって喜んでもらいたい、とか治療ができなかった病気を自分の作った薬で治して多くの人を救いたい、とか考えると思います。

どちらにも共通して言えることだと多いますが自分が作った製品で他者の役に立ちたいという考えがあるように思います。

しかし、僕は違います。食品の研究、開発がしたいのは単にfood science に興味があるから、自分が自分で美味しいものを作って食べたいからという理由です。

薬の研究、開発がしたいというのもあくまで生化学に興味があるという理由と対病気、ウイルスとの戦いにおいて化学の力を用いて勝ちたい、病気やウイルスについてもっと知りたい、という好奇心だけです。

このことから分かるように僕は自分の利益(好奇心などの知的欲求を含む)になるようなことにしか興味がないようなことがわかります。

さてここまで課題を取り組み、考えていたときに新たな疑問が2つ生まれました。1つ目は

人の役に立ちたいと考える必要があるのか

ということです。

今まで見てきたように僕は人の役に立ちたいと思って将来やりたいことを考えているわけではありませんが、美味しい食品を作ることや、難病に効果がある薬を作ることは結果として他者の利益にもつながると思います。

このことを考えるとわざわざ「自分は人の役に立ちたいんだ」と意気込むことの必要性はないと思います。自分の意図しないところでいつの間にか他者の役に立つことが往々にしてあるから。

もちろん人の役に立ちたいという考えを持っている人がいるからこそ、その人の存在が役に立っているところがあること(例を挙げるなら非営利団体に所属する人々やボランティアの人)を十分に知っています。

さて、新たな疑問の2つ目は

人の役に立ちたいという考えが本当にいい考えなのか

ということです。

世間的には昔も今も人の役に立ちたいと考えることを美徳とし、将来人の役に立つようにしなさいとさえ子供のときに言われているような気がします。

逆に人の役に立ちたいと考えていない人は批判の対象にさえなっているように感じます。おそらくですが批判される理由としてはその人が自分のことしか考えていないエゴイストだと思われるからではないでしょうか?

では、人の役に立ちたいと考えている人は本当に他者への奉仕の精神だけで自分に対しては何も求めないのでしょうか?

僕は違うと思います。人の役に立ちたいと考えている人も心の奥では、自分が人に何かをすることによって感謝されたい、とか自己の承認欲求などがあると思います。

結局は考えや手段は違えど、どちらのタイプの人も自分の何らかの欲を満たしたいだけのように感じます。もちろん本当に見返りを何も求めずに他人の役に立ちたいという人が一定数いることは知っていますし、そのような人を僕は尊敬さえもしています。

僕の考えでは人の役に立ちたいと考えることがいいことのなのかについて白黒をつけることはできませんが、少なくとも人の役に立ちたいと考えないことが悪いことかと言われるとそれについてはNOと言えるように思います。

最後に僕が言いたかったことをまとめると人の役に立ちたいと無理に考える必要はないということと、僕の頭はおかしくないということです(多分)。

今回はここいらで終わりたいと思います。支離滅裂な文章を読んでいただきありがとうございました。

ではでは