京大生おにぎりのつぶやき

京都大学農学部所属おにぎりが雑多につぶやくブログです。

1回くらい1番になったっていいじゃない(Part1)

やっほ

自動車免許いつ取ればいいのかよくわかっていない情弱大学生おにぎりだよ

今回は1番というテーマで書いていきたいと思います。

Part1では僕のこれまでの競争について振り返れたらと思います。

ではれっつごー٩( ᐛ )و

 

いきなりですが質問です。

みなさんはこれまででそこそこ大きい母集団の中で1番になったことはありますか?

僕はちなみにですがないです。

このことを言うとたまに驚く人がいます。

各分野について考えてみましょう。

 勉強編

京大生なんだから勉強で1番になったことがあるんじゃないかとよく驚く人たちは聞いてきますが僕は勉強でも1番になったことはありません。

どんな集団にも僕より勉強ができる人はいるわけで受験をくぐり抜けたわけでない普通の公立の小学校、中学校でも僕より勉強できるひとはたくさんいました。

塾にいた時ももちろんそうでした。

小学校6年生のときだけ日能研に通っていたのですがそこでのテストでも1位にはなれませんでした。

たとえ科目別の点数でもそうでした。

僕は社会と国語が割とできるタイプで忘れられないのは普段80点くらいの国語のテストでたまたま97点をとってこれは1位だろと思ったら98点のやつがいて1位を逃したことがあります。

ちなみに算数と理科はてんでだめでした。

日能研の算数の授業は始めに計算問題を解く時間があります。

1回目の算数の授業でまだ習っていない分数の割り算掛け算の問題が分からなくてどうやって解くのかと先生に聞いたらお前はアホかと言われたことがあります。

他にも理科の時間にはトンチンカンなことばかり言っていたので先生からの呼び名がタコになったりしていました。

中学生のときの塾なんて言わずもがなです。

模試でも科目別でさえ2番が限界でした。

中学生の理科と社会というのはその年齢に対しての問題の難しさが簡単な科目のツートップだと思うのですがその科目でさえどこかでミスをして満点が取れずいつも1番に離れませんでした。

高校生のときなんてはなから勉強で1番になろうなんて考えてもいませんでした。

僕よりも要領が良くて勉強ができる人なんてたくさんいました。

浪人生のときは1番になりたいという思いが再び生まれてきた時だと思います。

ただ浪人のときはクラスの1番にもなれませんでした。

東大志望の人でひとりすごく勉強ができるやつがいてその人が大抵模試の時は1番でした。

京大の模試でさえ学科別の順位で2番が限界でした。

大学はそもそもそんなテストに対しての競争意識なんてないですよね。

だから大学内で1番になろうなんて考えてはいません。

さてこれまで勉強で1番になれなかった話をつらつらと書いてきましたが勉強以外はどうだったのでしょうか?

 

文化系編

とりあえず文化系の方はどうだったか

僕は美術に関してはてんでだめでした。

小学生のときの通知表には◎、◯、△の評価で他の科目ではもらったことのない△を連発していました。

中学生のときは3年連続5段階評価で2でした。

こういうわけで美術作品のコンクールは1回も当選したことがありません。

次に音楽はどうでしょうか?

音楽というのは順番を決めるのが難しいジャンルだと思います。(もちろん美術も難しいです)

ただ僕の記憶上音楽で順位を決めていたのは中学生のときの合唱コンクールなのですが、それもわずか3クラス間での戦いでしたがそれでも1番にはなれませんでした。

(1番になっても僕以外の人の要因がとても大きくなるので今回の話とはあまり関係ないのですが)

他に文化系で順位がでるものといえば読書感想文でしょうか?

これも僕は選ばれたことないですね〜笑

てなわけで文化系のものでも僕は1番になったことがありません。

というか文化系のものはこれまで一生懸命にやったことがないので1番になれないのはある意味当然かもしれないです。

 

スポーツ編

次にスポーツについて考えていきましょう。

クラブでのスポーツ

僕は幼稚園から中学生の間サッカーをずっとやっていました。

幼稚園の時のサッカーの記憶なんてほとんど残っていないのですが、メダルがどこを探しても見つけられないので多分1番になったことはないんでしょうね。

小学校のときは転校の影響で5チームに所属していました。

最初のチームではすごく小さい大会で優勝しました。

ただ大会が小さすぎてそこそこの母集団ではないので今回はなしにします。

2番目のチームでは準優勝こそすれど優勝はできませんでした。

自分で言うのもなんですがこのときの僕はサッカーがすごくうまかったと思います。

これが優勝できなかった原因でもあるのですが、僕が出ると絶対に勝ってまうということで当時のチームのコーチが決勝に僕をたとえ負けていても出させませんでした。

この采配は今でも不思議ですね。

3番目のチームですがこのチームは4年生から6年生で構成されているチームで4年生の時に加入した僕はなかなかAチームに上がれず、上がりそうになった5年生に上がるときに転校で別のとこに行ったので試合の機会がありませんでした。

4番目のチームはすごいぬるいチームで公式戦というやつをした記憶がないんですよね笑

5番目のチームではなかなか勝てませんでした。勝つは勝つのですがいつもあと一歩足りず次に繋がらないという感じでした。

次に中学生のときについてです。

中学校1年生のは全然だめでした3年生が引退したあとたまに2年生に混じって公式戦に出してもらうことがありましたが同じ大会で3回以上勝った記憶がないです。

1年生大会というのがあってこの大会では僕のいた中学校は優勝候補でした(一人2年生になったらもっと強いクラブチームに行く人がいてその人が有名だったから)

しかしこの大会でも優勝することはできませんでした。

さて2年生と3年生のときについてですがここでも優勝はなかなかできませんでした。

僕はこのときキャプテンだったのですがチームをまとめるのがすごく下手くそだったと思います。

全員に目が回せる少人数をまとめるのは得意ですが大人数をまとめることが苦手ということが分かったのでこの経験はまあ良かったのですが。

次に高校に入ってからです。

僕は高校生のときは何を思ったのかバスケットボール部に入りました。

なんでバスケットボールなのかと思う人はたくさんいると思いますがそれは少し置いときましょう。

少し考えればわかることだと思いますがバスケットボールは高校生から始めるのはかなり難しいスポーツです。

サッカーをやっていた人は尚更レギュレーションの部分で難しく感じると思います。

なので僕は公式戦に出た回数が非常に少ないです。

まあ勝ったところで僕以外の力が非常に大きいものになっていると思います。

さてここまで部活やクラブでの話をしていました。

授業でのスポーツ

体育の授業はどうだったのでしょうか。

小学生のときはサッカーはできるけどあとは全然だめな人でした。

スポーツテストもA評価を取った記憶がないです。

運動会の徒競走もいつも最下位争いをしていました。

長距離走もあまりしていなかったのでいざ冬にやると中の上くらいの順位でした。

水泳は全然だめでした。

クロールと平泳ぎはできるのですがバタフライと背泳ぎが全然だめでした。

タイムもすごく遅くて平泳ぎとクロールのタイムが同じくらいでした。

中学生のときは水泳以外はまあまあでした。

短距離も走ることを覚えたので最下位争いから脱却できるようになりました。

長距離はサッカー部の顧問がめちゃくちゃ走らせるタイプの人だったので学年で一桁になるくらいには走れるようになっていました。

水泳は友人のおかげでバタフライと背泳ぎも泳げるようにはなったのですが相変わらずタイムが伸びませんでした。

しかもなぜか泳げるやつばかりで全然泳げていないといじられているやつにも僕はタイムで負けていて学年でタイムだけ見ると最下位でした。

そのため水泳の時期になると「えら呼吸」とか「お前の首にはえらが生えている」とかいじられていました。

高校生のときは本気でやるというよりは8割くらいの力で楽しむという感じが強いように思えました。

なので本気で戦ったという記憶がないですね。

 

終わりに

今回は僕がこれまで勝ててこれなかった歴史について書いてきました。

次回、なぜ僕がこれまで1番になりきれなかったのかということについて自分なりに分析したいと思います。

そして1番になることについての僕の私見がかけたらいいなと思います。

ではでは〜